2015年11月

数学の番組が放送されてます。
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「数学ミステリー白熱教室」
http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/math/index.html

第1回:ラングランズ・プログラムへの招待(1)数学を統一する
2015年11月13日(金)午後11時放送 Eテレ

第2回:数学の世界に隠された美しさ~数論の対称性~
2015年11月20日(金)午後11時放送 Eテレ

第3回:"フェルマーの最終定理"への道~調和解析の対称性~
2015年11月27日(金)午後11時放送 Eテレ

第4回:数学と物理学 驚異のつながり
2015年12月4日(金)午後11時放送 Eテレ

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数学の演奏会あります。

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◆森田真生「数学の演奏会」 
2015年12月13日(日)
開場 17:30
講演 18:30〜21:30 (途中に休憩あり)
会場:TOKUZO(とくぞう)
名古屋市千種区今池1-6-8 ブルースタービル2F
「今池」駅10番出口より徒歩3分の距離
TEL052-733-3709
定員:約100名 

http://asoco.in.coocan.jp/monthly/20151213.htm

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大人のための数学講座「数学的思考の身体性」

今回は特別ゲストで森田さんの友達の江本さんの講座もありました。
先ずは森田さんの本の出版エピソードから話から始まりました。
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本を書くときは興奮してて大文字山を凄い速さで昇降してたらしいです。
古民家の家は冬は寒くてPCが凍るらしい。
本の編集者のあだちさんもみえてました。森田さんの第一印象はよくしゃべる人。
なめらかな社会とその敵の略称はナメテキ
ここから岡潔さん、若き日の森田さんが登場します
物理や哲学や経済の先生に絡んだエピソード 重力、CES、公用の最大化て何ですか?
途中、ノーベル賞より各上と言われる京都賞受賞のウィッテンさん(ヒモ)のモノマネを披露。
毎日バスケの練習してるとコートと一体化した感覚になる。それは懐かしさ。それはより世界に所属すること。
岡潔「分かるということはそれに成りきること」 難しい問題も懐かしいを探せば早く理解できちゃう!?どこかで見ましたが懐かしいとういう感情はそれを経験してなくても起こるらしいです。
在野-視野がない危険な野を歩く  在野の道を行く森田真生、本は世間全体にコンニチワ

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本の表紙のフォント所々違う。
この本は種だ。
風土から数学が生まれる。数百年の数学が好きな人の土壌がデカルトやライプニッツを生んだ。天才は天才を生まない。←これ好きです。
数学は身体的行為、壁を取っ払えば数学は行為になる。数学という行為が変わっていく
ここから行為という言葉がでてきます。何でしょう行為て。
チューリングとヴィドゲンシュタインの話。ヴィドゲンシュタイン強めでした。
ヴィドゲンシュタイン「数学は何故矛盾を恐れる?」「チューリングは少しも計算していない」
計算している主体も含めて計算!?
「物語哲学の歴史」 伊藤邦武 魂(古代)→意識(17C)→言語(19C)→生命(20C〜)
記号操作だけが数学ではない。生命の時代の数学とは何か?思考は生命現象、生命現象が言語を支えている。
「生きていることが喜びであることとするのが学問。」

休憩をはさみ、江本さんの物理講座に入ります。
ちなみに小学公の頃の夢はパン屋さんだそうです。
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話の中心は日本で3番目に有名な物理学者の寺田寅彦さんです。
有名な研究はX線による結晶解析。そして夏目漱石の弟子だそうです。英語の先生が夏目さんでそこで俳句に興味を持ち弟子になったそうです。
「落ちざまに 虻 を伏せたる 椿かな」この俳句から虎彦が物理します。
虻を乗せた椿の葉が本当にうつ伏せに落ちるのか?について観察します。2年ぐらい椿の木を植えて地味に観察します。そこで意外な事実がわかります。そしてさらに実験をして納得の結果にたどり着きます。この俳句は物理的に見ても正しかったんです。
ここで虎彦のやった研究は最先端の物理に通じているらしいです。
岡潔さんも寺田さんも数学や物理とは対極にあるような俳句に惹かれるのは意外な感じがします。
「仮説が間違っていたときに一番進む。」 「不思議な心は伝染し大きな不思議な心となる。」
30分ほどのお話でしたが振り返ってみるとても綺麗な流れだなと思います。

続いては森田さんへの質問コーナーです。
最初は加藤さんが質問を読み上げていましたが、若干ローテーション気味ということで
途中から森田さんが自分で読んで答えます。
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質問の内容は忘れてしまいましたが、質問を超えた本編より濃い話をしてたと思います。
本の続きを書くとき毎回初めから読み直して書いていたそうです。
本は重く作った。
まだ10ページほどしか読んでませんが確かにギュとまとまってる感じます。
最近は虫と会話できるようになった。種を超えたコミュニケーション。
日常の行為はほとんどが惰性→初めてするかのようにする→動くために時間が生まれる→生きることで時間が生まれる→有時→梅が早春を開く  記録が確かではないですが時間の中に行為が生まれるのでなく行為によって時間が生成されるとううパラダイム転換の話をされていたと思います。行為、行為。行為
赤ちゃんは比較的嬉しそう→無限の嬉しいの中で有限の不幸が起こる。喜びと興奮の違いについて説明
喜び=有り難い、自他分別が無い状態、自分の中に喜びは無い
興奮=自体対立、競争状態
これは色々と使えそう。数学の問題を解くと気持ちが狭くなる気がするのは、自分の中から引き出す行為には喜びがないからなのかな。あれそうすると前項の懐かしさ、既思感は一体どこらへんにあるんだろう...
教科書で太字で書かれる人になりたい→そのために太字のガウスやオイラーと友達にならないと→太字になるために新しい行為を発明したい。新しい行為て何だろう
宇宙の果てはあるか?→システムは語りきれない→カントール→無限とは系では計れないこと→相対的に有限なままな自分→(小さい無限に大きな無限を入れることができる)→果てしないは無くならない
Twitterハッシュタグ#数学する身体のある風景←数学する身体を読む風景の動画や写真をアップ!!
今回は言語的、記号的なものに対して身体的、生命的な行為というのが鮮明だった気がします。


懇親会は本編より長かった。
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江本さんが地動説から天動説への転換のきっかけは土を生命のように感じ始めたところかだとお話がありました。土=地球=生命=動くという発想らしいです。生命は、この後の渦の話のときにも出きてきました。森田さんの話でも生命の哲学として出てきました。生命という意味や扱い方を見直さないといけないですね。
また人間の脳の記憶の話もしてて思い出そうとするとき記憶がその都度生成されるという話だった!?と思ったんですが、それって森田さんの行為によって生成される時間の話に似てますね。さすが友達だけあって同じような感覚を共有してるんですね。
そして懇親会最後の最後に難問が投げかけられましたが、
21世紀の寺子屋、算額てどんな行為?

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